●ドキュメンタリーではなくて、映画を撮る意味は何なんでしょう?
I「一つはね、ドキュメンタリーってテレビでは見るけど、劇場で見るっていう習慣が日本にはないじゃない。それで、ある意味限界を感じた時があるんだよ。『SAWADA』っていう作品をテアトル新宿でやった時に、一応ヒットはしたんだけど、やっぱりみんな見慣れてないんだよ。それで、フィクションが面白くなってきたっていうのがでかいね。最近ね、自分でウソを作りたいってすごく思うんだよ。リアルはもういいじゃないって」
●監督は、手紙っていうツールをもの凄く大切にするじゃないですか?
I「そう、パソコンできないから(笑)メールできないんだから、手紙しかないだろう(爆笑)脚本も、手書きで書いてるんだよ!?」
●そうなんですか!?監督の作品に出演なさっている浅野忠信さんや田中美里さんが、『監督からもらった手紙を読んで出演を決めました』っておっしゃっていて、だから監督にとって手紙っていうツールがどんなものなのかなと思って。
I「昔は、すげえこだわってたんだよ。紙も栃木県にある福田屋っていう昔からの和紙専門店でずっと買ってて、好きな人とか自分の想いを伝えたい人には、そこの紙を使って手紙を書いてたんだよ。今はもう、そのお店がなくなっちゃんだけど。そこに行った時にさ、おじいちゃんとおばあちゃんが一生懸命和紙を作ってたんだよ。それで、これだけ一生懸命作ってるんだったら、この人たちが一生懸命作った紙を使って手紙を書けば、思いが通じるんじゃないかと思ったの。それで、何十枚も紙を買ってさ、一応美里さんにも浅野にもその紙で手紙を出したんだけどさ。人の文字っていうのは、例えば周防が書いたら、周防の顔や、その人のことを思い出すわけだよ。俺はすげえくせ字だから、右肩上がってるとか言われるんだけど、その字を見て泣ける時ってあると思うんだよね。同じ言葉でも、シナリオでもそうなんだけど、ノってる時に書いてる筆圧って分かるんだよ(笑)そういうのを大事にしたいと思うんだよな。だから、浅野に送った手紙も、あいつとやりたかったから、濃い筆圧で長く書いたんだと思う。そういうのを手書きならできるわけじゃない。パソコンっていうのは、想いを伝えるには弱いと思うんだよ。だから、嫌いなんだよ、年賀状とかパソコンで作ったものが送られてくるのは。一言でいいから、手書きで書いてほしいんだよな」
●監督にとって『人間』ってなんですか?
I「基本的にね、人間が嫌いな人は監督できない。人間が嫌いだと映画が作れないっていうのはね、やっぱりどんな映画も人間を描くわけじゃない。だから、できないと思うね。人って、面白いよ。いろいろな人間がいて、この人はどうしてこういうことを考えてるんだろうって思うじゃない?それで、周防でもキャラクターを考えた時に、お前のママのこととかピアノのことも含めて考えるわけだよ。どんなママだったんだろう、とかな。そういうのが、この仕事にものすごく大事なことだよな。あなただって、演技をする時にどういう人間か分からなければ芝居できないだろ?だから、(人間を)観察しなきゃダメなんだよ。前に大竹しのぶさんとさ、衣装合わせやったことがあったんだけど、いろいろなスタッフが入ってくるわけじゃない。その段階で、この人はどういう人だとか、この監督はどんな感じだとかものすごく繊細に見てるんだよ。本当に感受性が強い。この衣装をあてた時の監督の表情はどうだとか、この場での権力者は誰だとか、そういうものをすぐ判断できる。その洞察力はすごい。気持ち悪いくらいだよ。そこまで感受性が強いってところが、役者なんだなあと思うよ」
●出演して欲しい役者とは?
I「俺はさ、今までのキャスティング全部自分でやってるんだよ。田中さんの時はさ、金子みすずの話だし、詩をかける女の子がいいなと思ったんだよ。役じゃなくて、実際に書ける女の子が。それで、タレント名鑑を見たの。あれは、あ行の子が得だな(笑)最初は一生懸命見るんだけど、たの行ぐらいから疲れてきちゃってさ、最後まで見ないからね(笑)それで、田中さんが特技の欄に「詩を書くこと」って書いてたんだよ。それで、彼女の作品、全部見たわけ。週刊誌とかに載ってる考えてることとかも全部読んでさ。しかもさ、金子みすずの出身地は山口県で、田中さんは石川県出身なんだよ。それで、同じ日本海の景色を見たんじゃないかと思って。あと、着物が着れる。決定的だったのは、声がいい。詩を書ける、みすずと同じ景色を見てる、真面目で、映画の代表作があまりない、ピンの役がない、声がいい、そういうことを考えた時にぴたっとはまったわけ。『HAZAN』っていう陶芸家の映画に出てもらった榎木さんも、実際陶芸科出てるでしょ。彼は絵も描けるし、芸術的な部分でダブってると思ったんだよ。彼の本も読んだよ。そうしたら、軽い男じゃないってことが分かるわけじゃない。浅野もさ、やっぱり全部の要素を持ってるんだよな。単に今までに何に出たかっていうのは、あまり俺にとって興味がなくて、その人が何を考えているか、極端に言うと家庭環境まで知りたくなっちゃうんだよ。それで、この人はこの役にはまるとか考えるんだよ。周防もさ、何かに出ろっていうのはもちろんだけど、自分の中での膨らませ方ができればさ。例えば、こういうものを通していろいろな人に会って、それで何かをやってみて、それが特技とか何かになればさ、大きいと思う。幅を広げるんだよ。最近、『富豪刑事』見ててさ、あの深田恭子は思いっきりやってると思うんだよ。下妻の時もそうだったし。きっと、自分の磨き方を分かってるんだろうな」
●海外の実在の人物を映画にするという案はなかったんですか?
I「ロバート・キャパには興味があったけど、ドキュメンタリーになってるからね。ただ海外の人ってさ、日本で作るとなかなか企画書通らないんだよ。日本人の誰々の話って言ったほうが、企画が通るわけ。今企画が通るのはね、やくざモンの話か、ちょっとエッチな話か、漫画が原作。ほとんどそうなんだよ。何でかって言うと、大監督が映画を撮れなくなってるから。プロデューサーが若くなっちゃって、大監督を使わないんだよ。みんな(監督として)出てくるのも20代30代の子でさ、デジカメがあるからぽこぽこ作るんだよ。だから、先が続かない。一本撮っては消え、一本撮っては消えの繰り返し。逆に今は、映画に携わりやすくなったと思うよ。これだけ映画学校があって、役者だって自主映画に出て『主演女優です』ってできるわけだよ。そういうのって、昔だったら大変なことじゃない。僕が今までやってきたものは、全部企画書が通らなかった。『地雷~』もダメだったんだよ。その当時、浅野はそこまで売れてなかったし、『この時代に、戦場カメラマンの映画なんて誰が観るか』って言われたんだよ。それで、松竹の奥山さんっていうプロデューサーが、全部責任持つって言ってくれて、作ることができたわけ。だから最初は、鼻もかけられなかった企画だったんだよ」
●監督自身を、漢字一字で表すと何ですか?
I「『想』。想像力の『想』。想うとも読めるだろ?人を想う、これを作りたいと想う。監督って子供みたいなもんでね、『撮りたい、撮りたい』って泣いてるだけなんだよ。そうすると、『これだけ五十嵐が撮りたいって泣いてるなら、撮らせてやろうじゃないか』って思った周りの大人たちが集まってきてくれるんだよ。その代わり、泣き方があるんだよ。それが、『想い』なんだよな」
●最後に、映画を作りたいと思っている読者に向けてメッセージをお願いします。
I「なんかねえ、みんな頭が良すぎる。人のことを考えすぎる。人のことを気にし過ぎるって言うのかな、みんな頭が良すぎるから、こっちに行ったら良くないってことを行く前から分かっちゃってる。でも俺たちの時代は、行ってつかんでみるしかない。行ってダメならしょうがないっていうところがあったんだよ。俺は、自分勝手に好きなことやってるやつが好きだね。迷惑かけても、その後のケアがちゃんとできればいいと思うんだよ。
若い人って優しいじゃない、何か知らないけど。気も使えるし、言葉も優しいし。でも、本当の優しさじゃない。そんな優しさ、いらないんだよ。行為が優しければ、言葉はいらないと思う。もっと、ぶつかれ。親とも、友達とも。もっとぶつかって、自己確認しろ。そうじゃないと、いずれこの業界でつぶされちゃうよ。俺は、そう思うね」
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